Be with you







それはほんの気まぐれだった。


間違えても、デパートの特設コーナーなんかで女どもに揉まれてきたわけではない。

数日前に食事した高級レストランのキャッシャー近くに
慎ましやかに設置されたショコラのコーナーに目が行っただけだった。


さっきのデザートのクラシックショコラはなかなか上質な物だった。

ならこれも、それなりに期待できるかもしれない。


頭を下げるウェイターの前を豪奢なエントランスフロアに向かって進ませていた足を
止めた。


「支払いがまだならアレを一つ・・・」


秘書にそう言いかけて、
会社の金で買わせるのも趣尚ないだろう、と思い直し、
一番上にあった箱をつかんで、自らのゴールドカードとともに差し出した。






今までに何回、この日を迎えたことだろう。
まだまだ寒い日が続く中でにわかに活気づく業界がある。

それに併せて、この中国人も実はソワソワしていることを
知っている。

ソワソワしたり考え込んでいたり、
何かを必死にねだる目をしたり、がっかりしたり。
そんな光景を何回か見てきた。



「なぁ、カイ。今日は何の日か知っているか?」

オズオズと切り出された『バレンタイン・デー』。



もちろん知っているさ、世間が菓子業界の思惑に無様に踊らされる日だ。
そう答えたのは確か一昨年か。


去年は「俺もチョコが欲しい!」と直球が飛んできた。

「その辺に売ってるだろう」と返すと、
俺からのチョコが欲しい、だなんて殊勝なことを言うから

「俺は男だぞ。なぜ同じ男にチョコをやらねばならない?」

怒りを含む非難の目を向けると渋々黙った。




そして今年。
いい加減、諦めがついたのか。
レイはカイに背を向ける形でイスに座ったまま動かなかった。




過去の経験から、この日はあまり外に出ないようにしている。
練習中にも関わらず、BBAのファンだと名乗る女どもが大挙してやってくるのだ。
練習になりやしない。
もっともタカオやマックスはそんな軍団に囲まれてもあまり苦ではないらしい。
今日も集まっているはずだ。


メイドに言いつけてコーヒーを運ばせた。
机の中から黒の包装紙に包まれて金色のリボンが結んである箱を取り出す。
わざとコトリと音を立ててテーブルの上に置くがレイは動かない。



「おい、コーヒー。」


「あぁ。」


今年はふてくされることにしたのか。

長い髪ゆれる、その背中からはレイの思考は読みとれない。


「冷めるぞ」


「…」


「いらないのか?」


「…」




いらないのか?




「そうか、いらないのか。」


「なら、俺が食べよう。」




スルスルと滑らかにリボンを解き、
カパッと蓋を開けると行儀良く並んだトリュフを一つ口に放り込んだ。



「あっまぃ…」

カイの唸るような感想に、思わずレイが振り向いた。



「ずるぃっ!」


してやったりと口先を軽くあげて笑うカイの思惑を飛び越えて、
軽いフットワークでレイの足バネが跳ねた。

飛び上がるレイの体に真上から照明を遮られて、
その普段なら到底考えられない人間技にカイは呻く暇すらない。
次の瞬間、確実に落下してきたレイの重みに身じろぎすら許されず、
カイは押しつぶされた。

そのままソファから滑り落ちそうなカイの身体を抱き止めて、
レイはその上に馬乗りになる。
そのまま深く深く口づけた。


「ぅん!?」




「・・・本当だ。甘いや。」



二人の熱ですっかり溶けてしまったトリュフを思う存分味わってレイは顔を上げた。

初めてチョコレートを食べる子供のようにまん丸い目だった。



俺のために用意してくれたのか?


そう問いかけるように見つめられて、
思わず赤くなったカイが慌てて口を開く。


「いいか、これは俺がお前にやるんじゃない。
これは・・・二人で、食べるんだ。」


照れる自分に無理に言い聞かせるようなカイの言葉に
破顔したレイが頷く。


「・・笑うな。」


怒るカイに再び口付けを落として
レイは何回も何回も頷いた。



「じゃあカイ。俺たちのバレンタインを始めよう。」



さっきまでとは打って変わって
ご機嫌になったレイの頭を小突きつつ、
少年が二人。

なんでこんなに照れてるんだろう。




少し冷めたコーヒーで乾杯をした。









レイだって、たまには良い想いをしてもいいじゃないか。
カイだって、たまにはレイに甘くてもいいじゃないか。
どうせなら二人で甘くなればいいじゃないか。
そんな感じで、携帯を片手にポチポチと書いてました。


本当はリッチなチョコレートなんか、いらないんだよ。
ちょっとした気分の盛り上がるイベントになればいい。
少しだけ、いつもより甘い日になるといい。
それが大好きな人となら、最高―――




2005.2.10



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