――2人だけの世界で生きていけたらいいね――





何を言う

それは狂気だ





2人だけの世界






火渡カイは弾かれたように目を開けた。
空気はまだ暗く、天井の隅に向かい闇が濃くなる。
カチカチと規則正しく時を刻んでいく時計の音と、
すーーと自然に消えいく心地よさの寝息が聞こえる。

唐突に覚醒したはずなのにカイの頭はまだ眠気をまざまざと引きずっていて。
実はまだ夢の中にいるのではないかとカイを錯覚させた。

掴みかけた思考がまた遠のいて、カイは寝返りをうった。




  ――ね。生きていけたらいいね。――




耳元にざわざわとした感触を残して、カイは目を開けた。

カーテンが開け放されて、眩しい光に満ちた寝室で、
今度はベッドの上に一人きりだった。


時計を見ると、いつもより少し遅い時間。
目覚まし時計は止められていた。
寝過ぎた気だるさを伴う頭をふって、寝室から出る。

キッチンでじゅわっといい音が聞こえ、
カチャカチャと器用にフライパンを操る仁の背中が見えた。



ふ・・・ぅん。

スリッパをパタパタとさせて冷蔵庫を開けて、中をのぞき込む。
牛乳を取り出しコップに注ぐと身体を目覚めさせるために一気に流し込んだ。


その様子を笑顔で見つめる仁に朝の挨拶がわりに「何だ?」という視線を向けると、
仁が「いい飲みっぷりだな!」と笑った。


あまりにも気持ちよさそうに寝てたから、仕度が出来てから起こしに行こうと思ってたんだ。
さぁ、朝飯だ!顔を洗ってこいよ。


トースターからカリカリに焼けた食パンを取り出すとバターを塗りつけた。




「明日からしばらく研究所に缶詰になりそうなんだ。・・・カイは実家に帰った方がいい。」



突然の仁の切り出しに、口に運んでいた目玉焼きの黄身がべしょりと皿に落ちた。
白い皿に飛び散った黄色が無様だった。


仁の顔色を伺う。

続く言葉を待つ。


「なぜだ?」


今までにも仁が研究所に泊まり込むことはあった。
それでもカイはここで、2人で住むことになれきったこの仁のマンションの一室で、一人きちんと生活を続けていた。
カイが一人でいることに問題はないはずだった。


「今度はちょっと長引きそうだから。」


事務的に仁は続ける。
普段どおり、なのに、なぜか目線が合わない。


「・・・っそんなことを勝手に決めるんじゃない。どこに居ようが俺の勝手だ!」


仁の感情を込めない口調に、思わずカイの声が荒だっていた。

引き留めようとする仁の勢いをふりきって、ドランザーをにぎり飛び出した。






一頻り走って、苦しくなって立ち止まった。
大きく深呼吸をして、カイはまた走った。


なんでこんなに、腹が立っているんだ?
自分自身に問う。
答えは出ない。



「あれ?カイ、早ぇな。」


間の抜けたタカオの声に顔を上げると、いつの間にか道場までたどり着いていて、
縁側で歯ブラシを加えたタカオがいた。


「そんなこ・・とは、ない。貴様もいつまで寝間着のままだ。早く着替えてこい。」


へぇへぇ、と軽い相槌を打ちながら、奥に入っていくタカオに
自分はどこか変なところはないか、と窓ガラスに映る自身を見直した。




そうだ、仁の言い方が悪かったんだ。


額に浮かぶ汗を拭った。

あんな話は起きたて朝一番になされるべきものじゃない。
無理やり、頭の中に回答を残してカイは準備運動を始めた。







「カイ、今日のあなたは集中できてないですよ。」


背中にかけられるキョウジュの声に、驚く。

スタジアムを縦横無尽に駆け抜けるドランザーから目を離して、
なにを、と睨みつけるとキョウジュが「ひっ!」と小さく身震いした。


言われてみると確かに、今日のカイは変だった。
緊張した後のような不自然な肩の軋みに、強く握られた手のひら。
自分自身で分かる違和感があった。



この俺が心を乱されているだと? 


誰にと言うわけでなく、心の中で毒づく。

今朝の仁の言葉に?


研究所に缶詰だなんて、今までに何度もあったことだ。
いつもと違うことといえば、初めて「家に戻っていろ」と言われたこと。


たわいない言葉のはずなのに。


きっと、きっと寝すぎたせいだ。
仁のやつが、いつもと同じ時間に、俺を起こさなかったからだ。


さっさとバトルにケリをつけてしまうべく、気をとりなおし、ドランザーに集中する。
「行けっ!」カイのかけ声とともに、ドランザーは対戦相手のドライガーに激しくぶつかる。

次の瞬間、斜め下から虎の爪でえぐられるように、ドランザーは宙を舞った。



「気迫はあるんですけど・・・安定性が著しく無いんですよ。」

キョウジュの困ったような声と、タカオのそうだなぁ・・と同調する声が聞こえる。


ドランザーを拾い上げて、カイが忌々しげにうなった。


「何か・・・原因が分かっているのなら、早く解決すればいいですね。」


「・・・帰る。」


ドランザーを取り上げてカイは緩慢な足取りで向きを変えた。




カイが帰った部屋は、誰もいないがらんどうだった。
仁は仕事に行っているだから、それも当たり前のこと。
今朝、カイが飛ばした目玉焼きのしみも綺麗に拭いてあった。

どのようにして仁の部屋まで帰ってきたのか、カイには分からなかった。
きっと普段通りにいつもと同じ道を歩いて帰ってきただろうに、
その断片的な記憶しかない朧気さは、カイに大きな疲労感を与えた。


スリッパを引っかけて部屋の中程まで進み、フローリングの床に横になる。
冷たさに酔いながらゆっくり目を閉じた。
視界を放棄してしまうと、頭の中に残っていた音がザワザワと騒ぎだす。





  ――2人だけの世界で、生きていけたらいいね――





耳の後ろに確かな感触を残していた言葉を振り返る。
甘ったるい言葉。
こんな言葉を声にしたとき、耳にしたとき。


仁はそのとき、どんな表情だったろうか?


記憶を掘り返す。

幸せそうな顔だったか。
照れを隠そうとする茶化した顔だったか。
真剣な顔だったか。
それとも時々突き当たる、行き止まりの切ない顔だったか。


あいつのことだ。まるっきりの冗談を言ったわけではないだろう、と。





  ――生きていけたらいいね  2人だけの世界で?――





自分の中に納められていた仁の様々をあらためて確認すると、その多さに気恥ずかしい。





  ――2人だけの世界で――





で、どんな表情だった?

どんな状況だった?


しかし何も浮かんでこない情景に、カイは薄く目を開けて、またきつく閉じた。
頭の中を真っ白に戻して、もう一度考える。

それでも一向に具体性を持って現れない映像に、頭を捻る。



仁が言ったことではないのか?

カイの頭がぐらぐら揺れる。


他の誰がこんなことを言うというんだ。


2人だけの世界。
そんなもの狂気以外の何物でもないではないか。


2人だけの世界。
それは存在してはいけない世界だ。それは互いの身を滅ぼすだけのものだ。


記憶をたどる。
仁と過ごした日々を追いかけながら。




  ――生きていけたらいいね――





そうだ。あれは、桃色の空気に、包まれていた。


記憶の中でカイは見上げた。
その手は優しくカイの髪を撫でていた。

嬉しそうな顔をしていた、それは俺。
仁の手が暖かくて心地よかったからだ。


気持ち良くなって、ゆっくり目を閉じて、また見上げて。
背筋を伸ばして、仁の首筋に鼻を埋めた。



そこで、呟いたのだ。ひっそりと




  ――2人だけの世界で生きていけたらいいね――





そうあれは、桃色あふれる夢の中でのこと。


ここが夢の世界だと、なんとなくカイは分かっていて。
それでも本当に気分が良かったから。




すべてを思い出し、赤面する。
救いなのは、それが夢の中の出来事だったこと。いや、夢の中としても。
空気だけの声で、自分だけに聞こえるようにしか、呟いていないこと。


あんなもの、現実の仁にも、夢の中の仁にも聞かれてたまるものか。


恥ずかしさで頬が熱くなって、手で多い隠すと同時に、熱を発散させるように涙がこぼれた。



2人だけの世界だなんて、
夢も希望もありやしない。


お互いのことだけ考えて
相手のことしか考えられなくなって。
あいつがいれば、それでよくて。

それはきっと満足して、そのままその世界でドロドロに溶けてしまう。


狂っている。

俺は狂っている。



駄目だ。

仁への想いに狂ってしまう


仁への想いが狂い咲く―――




身体を丸めた。
自身の中を埋めていた予想外の灼熱に、宙に投げ出されてような恐怖を感じた。





「ただいま〜。カイ?いるのか?」



惜しくも刻は黄昏時を向かえ、


スーパーで買ってきた食料をガサガサ言わせながら、仁が靴を脱いでいる。


「カイ?」


上半身を起こす。
窓から差し込む逆光で、表情が見えないといい。
それでも細かく震える肩に、仁の顔が不安で満ちるのが分かる。


「カイ・・・?」


走りよる仁に抱きしめられて、カイの嗚咽は隠しようがなくなった。




「駄目だ。こんなんじゃ、駄目なんだ。」



俺の芯はいつの間にかこんなに弱くなっている



「今朝は悪かった。急にあんなこと言って。」



仁の声がカイの中へ振動する。



「違っぅ。俺がっ・・ 俺の・・くぅっ。」



言葉が選べない。そんなカイの背中を仁がさすった。




「いいよ。話さなくて。」





部屋いっぱいに夕日が満ちて
部屋にはカイの消えきらない嗚咽と、2人の鼓動だけが在った。



「・・・静かだな。」







カイは聞いた。



吐息だけの仁のつぶやきを。






  まるで、この世界に2人だけ、みたいだ









内側が脆くなっているカイが書きたかったんです。
自分から求めることは空くないだろうカイ。カイ自身さえも壊してしまうほどの恋心。
身の内に喰い込んでしまった想い。

きっとカイは自分の恋心がソレと認められないんじゃないか、と。
それを知ることは、自分の矜持を失うことだ、とすら考えていてもおかしくないか、と。
ぐらんぐらんのカイもたまにはいいもんじゃないか、と。


とあるステキサイト様の文章をたっぷり読ませてもらって、その管理人さまとお話させてもらっていたら
『幸せなはずの「2人だけの世界」は実は、滅びゆくだけの危険な世界なんじゃないか』と思えたことが
この話を書いたきっかけです。
幸せそうなフレーズを破滅的なイメージに魅せてしまうほど、御方の世界は確立されていたわけです。すごい。


いろいろと言葉が足りないのは分かっています。
けど、これ以上書いても、書きたかった世界は広がらないと思うので、ここでやめておきます。
未熟者ですみません;
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

2005.5.20

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